数学のセンスとは何か

どんな塾?

普段、数学を指導していて数学が得意な子とそうでない子の間に、知識や練習量以外の大きな差を感じます。その差は、「センス」という言葉で片付けられてしまうことが多いです。では、その「センス」とは一体何なのでしょうか。最近、それを「目的と手段」から説明できるのではないかと考えました。

「目的」から考えるか「手段」から考えるか

最終的なゴールである「目的」と、そこに至るまでの道のりである「手段」。どちらから考えるかが、数学が得意な生徒と苦手な生徒で分かれます。例えばこんな単純な問題でもハッキリ分かれます。

「30分で20Km進むなら、時速何Kmか?」

「目的」から考える生徒は次のように考えます。
時速ということは、1時間でどれだけ進むかを求めたらいいんだな。
ラッキー、30分だから倍にするだけで1時間だ。
じゃぁ、距離も倍にして40Km。
よし、時速40Kmだ!

一方、「手段」から考える生徒は次のように考えます。
速さは道のり÷時間だから、
よ~し、じゃぁ、、、
おっと、危ない。時速だから、分を時に直さなければ。
分を時に直すには60で割ればよいから、30÷60で0.5時間か。
20÷0.5は、えーっと40、時速40Kmだ!

「目的」が見えているからたどり着ける

どちらの生徒が正答にたどり着ける可能性が高いでしょうか。それは前者であることに疑いはないと思います。「目的」が見えているため、途中で迷子にならないばかりか、複数の手段の中からシンプルな手段を選択できます。これが数学が得意な生徒の思考です。この程度の問題ならどちらもで答えにたどり着けるかもしれませんが、問題の難易度が高くなれば両者の差は広がっていきます。

「手段」から考えるのは、『イメージ出来ない』からではないか

ではなぜゴールである「目的」をハッキリさせず「手段」から考えてしまう生徒がいるのでしょうか。いろいろな原因が考えられますが、一番根っこにあるのは「目的」を『イメージ出来ない』からではないかと考えています。先の例の場合、「手段」から考えている生徒は、そもそも速さのイメージを掴めていないことが多いです。もちろん速さとは何か?と問うと、言葉では説明できることはあります。そんな場合においても、単に言葉という記号を口から発しているだけで、頭のなかで自在に操作できるイメージとしては捉えられていないことが多いです。つまり、「手段」から考える生徒は「目的」を『イメージ出来ない』ため、仕方なく「手段」から考えているのではないかと思うのです。

「目的」をイメージする習慣はなかなかつかない

解説するときには「目的」のイメージを示してからそこに至る手段を説明します。生徒はそれを理解できるのですが、その思考パターンはなかなか真似しようとしてくれません。自分でする時にはどうしても「目的」のイメージを飛ばし、「手段」だけを再現しようとしてしまうのです。小学生の頃から「手段」を実行することこそが勉強だと刷り込まれてきたからでしょうか。そして、未知の問題に出会った時、訳のわからない式を作ったりして撃沈してしまいます。このような生徒には粘り強く働きかけ続けています。一度ついてしまった習慣を変えるには大きなエネルギーが必要なのです。

小学生は「センス」のかけらを持っている

小学生向けのまなびコースでは、「手段」の暗記が通用しない教材を取り入れています。この教材では問題がパターン化されていないので「手段」の再利用ができず、必然的に「目的」をきちんと捉えなければならないことになります。導入した当初はやる気を削がないか若干の心配もあったのですが、不思議なことに算数が苦手な生徒でもこの教材は嫌がりません。嫌がるどころか、宿題でもないのに勝手に家で進めてきたりするほどです。こんな小学生を見ていると、数学が苦手な中高生は本来持っていた「センス」のかけらをどこかに置き忘れてきたのかもしれないと感じます。

「目的」から考えることは「センス」と言われるものの全てでは無いと思いますが、一つの要素ではあると思います。小学生にはこれを大切にしてもらい、中学生には取り戻してもらえるよう指導を工夫してまいります。

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