評価されるためではなく、自分のために

「習っていないからできない。」

このように言う生徒がちょくちょくいます。習っていないなら仕方ない。教えてあげなければならない。そう思われるかもしれません。しかし、この言葉は額面通りに受け取ってはいけません。多くの場合、本当の意味は「やりたくない」です。つい先日も、N君がこのように言って学校の宿題について助けを求めて来ました。

やはり彼もやりたくないようでした。彼が分かろうとした痕跡は全くありません。口から出てくるのは、学校の授業や先生に対する不満ばかりです。分かるためにどうすれば良いのかといったことは全く求めていないように思いました。彼は相当イライラしていました。それは、理解できないからではなく、やりたくないことが終わらないからだと思いました。彼の関心は、やりたくない宿題を手っ取り早く片付けること、その一点に向いていると思いました。

こんな時、どうすれば良いのでしょうか。彼の要求通り教えてあげれば、彼は宿題を終わらすことができるでしょう。しかし、それで彼が成長することはありません。宿題がただ終わるだけです。だからと言って教えずに突き放しても、彼のイライラは収まらず、もちろん宿題は終わらないでしょう。そしてやはり、成長はないと思います。つまり、どちらにせよ成長はないのです。ですから、これは教える・教えないの問題ではないのです。

そもそも、宿題をきちんとする生徒と、形だけ終わらせようとする生徒の違いは何なのでしょうか?それは、自分で選んだ感覚を持っているかどうかだと思います。宿題をきちんとする生徒は「する」を自分で選んでいますが、宿題をただ終わらせようとする生徒は「する」を外部の圧力によって選ばされています。(一人の生徒でも、ある宿題については前者で、別の宿題については後者だということもあります。)

ですから、N君のような生徒に対して必要なのは、教えることでも突き放すことでもなく、自分で選ぶことを支援することだと思います。そこで、まずは選択肢を認識できるよう、次のような話をしました。

「それがもし自分に必要なことならば、全部できなくても出来るところまできちんとやったら良いと思うし、自分に必要だと感じないことならば、やらなくても良いと思う。そもそも学校の先生は一人一人のことを考えて宿題を出しているわけじゃない。だから、宿題が自分のためにならない可能性も十分にある。個人的にはほとんどの場合、そうだと思う。勉強は自分のためにするもので、先生のためにするものじゃない。だから、どうしても納得できないならばやらないという選択をしても良いと思う。」全部やって提出する以外にも選択肢があること、そして、それらが真っ当な選択であることを伝えました。

するとN君は、やらなければ提出点がもらえないことを訴えてきました。彼は、選択肢を認識しても、その選択に自由があるとは思わないようでした。そこで、選択は自由であることを認識できるよう、次のような話をしました。

「確かに提出点がもらえないことはもったいないことだと思う。ただ、よく考えてほしい。それはそんなに大事なことなのだろうか?仮に形だけ終わらせてその評価を得たとして、そんな自分を自分で評価できるのだろうか?他人に評価してもらうために自分にとって価値のないことを仕方なくするのか、他人に評価してもらえるか分からないが自分にとって価値のあることをするのか(もしくは、自分にとって価値のないことはしないのか)。これは勉強だけのことじゃなく、N君が生きる態度そのものだと思う。」そして、私自身も後者の考えを持つようになってから勉強で困ることがなくなった体験についても話しました。(その記事はこちら

彼は何かを考えているようでした。そして、その場では結論を出さずに帰りました。後日、彼はすっきりした顔でこう言いました。

「ちゃんとわかるように勉強してからやるって決めた。」

まだ宿題は終わっていないそうですが、彼のイライラはすっかり消えていました。習っていないからできないはずのことに、彼は立ち向かっています。

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