短絡行動は、短絡行動から

以前、目標を押し付け、達成のための外圧を加えると、短絡行動が生じることについて書きました。そして、それを書いた後、ふと思いました。そもそも、人に何かを「させる」こと自体が短絡行動なのではないかと。

「相手が何かをすること」が望ましいと思ったとします。例えば、「子どもがコツコツ勉強すること」だとか、「社員がたくさん売り上げること」といったものです。何も言わずとも、子どもや社員が自分からそのように感じて行動するのが理想だと思います。しかし、現実にはなかなかそうはなりません。思うように勉強しなかったり、思うように売り上げなかったりします。

相手がその何かをするようになるには、合意に至る必要があると思います。考えを伝え、相手の意見に耳を傾け、対話を重ねる。そして、お互いが心から納得できる合意に至ったとき、相手は行動を始めるでしょう。ただ、それはたやすいことではありません。そうした合意に至るには大きな労力を要し、とても長い時間がかかります。時にはどうしても合意に至らないこともあるでしょう。

そして、こうした手順を面倒に感じたり、相手を納得させられないが、どうしても強引に押し切りたいとき、「させる」が現れるのだと思います。そして、その「させる」手段の一つとして用いられるのが、目標を押し付け、達成のための外圧をかけることです。他にももっと直接的に「させる」、怒ることもその手段の一つだと思います。これらは、合意に至る長い道のりをすっ飛ばす行動ですので、まさに短絡行動と言えるでしょう。

このように、「させる」を短絡行動として捉えると、子どもの短絡行動は大人の短絡行動によって引き起こされると言えます。お子様がきちんとわかる勉強をしない。終わらせるためだけにする。やっているフリをする。お子様をそのような短絡行動に走らせているのは、周りの大人の「させる」かもしれません。お子様を短絡行動に走らせないため、また、短絡行動の見本を見せないため、「させる」は避けたいものです。

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