押し付けた目標の先に

「次のテストは5計○点以上取れってお母さんに言われてるねん。」

生徒からこのような話を聞くことがあります。そして多くの場合、ご褒美と罰、つまり達成のための外圧を伴います。

断言します。その先に活き活きとした勉強はありません。あるのは目標をクリアするためだけの短絡的な行動です。テストに出ることしか勉強しない、理解せずにただ正解する方法だけを覚える、カンニングをする。それだけではありません。目標をクリアできそうにない子は、できるだけ心証を良くするための偽装をします。やる気をアピールするためびっしりの予定をたてる、頑張りをアピールするため見栄えの良いノート作りにエネルギーを費やすなどです。また、目標のクリアが見えた子はそれ以上勉強しなくなります。(そして、目標のクリアに関わらず、勉強そのものへの関心は失われます。

目標はテストの点数に限ったことではありません。勉強する分量を押し付けたならば、それを終わらせるためだけに行動しますし、勉強する時間を押し付けたならば、その時間が過ぎさえすれば良いとその時間をなんとなく過ごします。私自身も心当たりがあります。小学生の頃、コンピュータ教材での学習を押し付けられたことがあります。ただ押し付けられただけですので、もちろん終わらせるためだけにやっていました。解説は全部すっ飛ばして、答えの入力だけをこなしました。そして、最終的にはディスクを壊して起動できないようにしました。押し付けられることすら回避しようとしたのでしょう。

押し付けた目標と達成のための外圧が、短絡的な行動を引き起こす。これは、子ども達だけに当てはまるものではありません。この度の神戸製鋼のデータ不正も同じ構造にあるのでしょう。この事件について、地元を代表する企業の失態を大変悲しく思いました。また、影響の大きさに大変な驚きも感じました。ただ、不正の存在は驚くほどのことではないとも思いました。それは現代社会において、目標を押し付け、達成のための外圧をかけることはごく当たり前で、どこにでもあることだからです。短絡的な行動はそこら中に蔓延しているのです。

私も短絡的な行動を目の当たりにしたことがあります。予算消化のためだけの発注、件数を稼ぐためだけの論文投稿、ノルマを達成するためだけの特許出願。そんなものに疑問を感じる中で、自分を見失いそうになりました。何のために仕事をするのか、そして、何のために生きるのか分からなくなったことがあります。子供たちが時々発する「何のために勉強するのか?」は、まさに同じように感じていることの表れだと思います。子どもたちも疑問を感じているのです。テストのためだけの短絡的な勉強に、そして、自分の意思と無関係にさせられることに。

では、お子様が勉強に向き合わないとき、どうすれば良いのでしょうか?腹が立って、ついつい無理矢理させたくなる気持ちが分からないわけではありません。しかし、少し立ち止まって考えていただきたいのです。お子様に学んで欲しいものはいったい何なのか?、と。人に動かされ人の基準を満たすことが人生なんだと学んで欲しいのか、それとも、自ら動き自分なりの充実を追いかけることが人生なんだと学んで欲しいのか。そこをはっきりさせることで、一時の感情に左右されない子育ての軸を持つことができると思います。

私たちは、後者の想いを持つ保護者様と一緒に、お子様の活き活きとした勉強を守りたい・取り戻したいと考えています。

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