危険なご褒美

先の懇談会にて、「成績が良ければご褒美をあげる」といった話を数名の保護者様から伺いました。なかなか自分から行動を起こさないお子様を勉強に向かわせるために、いろいろとお考えになられたのだと思います。ただ、このようなコントロールは、長い目で見た時にお子様に深刻なダメージを与える可能性が指摘されています。

「良い行いには報酬を与え、悪い行いには罰を与えることで、人は望ましい行動をとる。」

これは、現代社会の様々な習慣や制度の前提になっていることですので、ご家庭でそのようにされることはとても自然なことだと思います。私が過去に勤めていた会社は従業員が何万人もいるような大企業でしたが、そこでも当たり前のように成果報酬がありました。仕事の成果に応じて成果分の給与が決まったり、他に、特許出願や資格取得に対して報酬がありました。このように、この前提はほとんど疑われることが無いぐらい、深く社会に根ざしています。

ところが、行動科学の研究によって、その前提が必ずしも正しくないことがわかってきたそうです。報酬には効果がないばかりか、むしろ悪影響すらあることがわかってきているそうです。もちろん、短期的には狙い通りの効果を発揮することもあるようです。しかし長期的には、狙いと逆方向に働いてしまうことがあるのです。自発的な行動を抑制し、創造的な取り組みの能率を下げ、好ましい言動を抑制し、望ましくない行動を引き起こす、そんな悪影響が数々の研究から明らかになってきているようです。

注意が必要なのは、報酬そのものが悪いのではないということです。問題は、報酬の背後にある「コントロール」にあります。人の行動を無理やりコントロールすることが問題なのです。報酬であっても、コントロールに無関係ならば害がないことが確かめられているそうです。例えば、何の約束もしていなかったが、よく頑張ったからと、思いがけず与えるご褒美がそれにあたります。(何度も繰り返すとコントロールになってしまいます。)逆に、報酬ではなくても、コントロールが背後にあるものは害があるようです。勉強の場合、「勉強しなさい」と怒ること、無理やり宿題を課すこと、勉強しているか監視すること、やることやそのやり方を強要すること、目標を押し付けることなどが該当すると思います。

信じ難い話かもしれません。空気のように当たり前のことが間違っているだなんて、なかなか受け入れ難いことです。それでも私は、かなりの信憑性があると感じています。理由の1つは、無気力な生徒に見られる共通点からです。勉強に対して無気力になってしまった生徒が塾に来ることがあります。そして、そんな生徒に必ず見られるのが、まさしくこのコントロールなのです。望まない受験を強要されたり、幼稚園の頃から塾に通わされたり、厳しい塾に嫌々通わされたり、家での学習を厳しく管理されたり。無気力な生徒からは、必ずコントロールの痕跡が見つかるのです。

信憑性を感じるもう1つの理由は、自らの体験からです。私は研究が大好きでした。中学の自由研究はもちろん、高専や大学、大学院での研究が楽しくて仕方ありませんでした。単位なんてどうでもよく、研究が楽しいから研究をしていました。研究が認められ研究所への就職が決まった時は、楽しいことが仕事になるなんて最高じゃないか!と思っていました。そして入社後、数年の年月を会社で過ごすうち、いつの間にか研究はやりたくないけど仕事だからやることに変わっていました。いくら考えても自分ではそうなってしまった理由が分かりませんでしたが、後にこのことを知った時、深い納得感がありました。学生の頃は感じなかったコントロールを、会社では感じていたからです。

小学校に入った頃はみんな自発的に楽しんで勉強するのに、いつの間にか多くの子供がただやらされるだけになっていく。これは、習慣や制度に埋め込まれた、人間の本質に合わない「コントロール」によって、起こるべくして起こっていることなのかもしれません。お子様が勉強に向かおうとしない。そんなときに必要なのは、次のテストのことを考えコントロールを強くすることではなく、生き生きと勉強に取り組む本来のお子様を想いコントロールを本人に返すことなのかもしれません。

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