課題は誰のためにあるのか

どんな塾?

新型コロナウィルスによる休校が続く中、子どもたちは学校から大量の課題を課されているようです。ところで、この課題は誰のためにあるのでしょうか?子どもたちが勉強するようにとの建前で課されているので、一見子どもたちのためにあるかのように見えます。では、もしも課題を課さなければ、子どもたちは本当に勉強しないのでしょうか?

自律的な動機づけが育っている生徒、つまりやる気の高い生徒は、課題など無くとも自ら勉強しようとします。Rくんは、せっかくの休校中だからと、苦手を克服するための学習に取り組んでいました。Kちゃんは、学習を先に進めておきたいと、お気に入りの教材で新学年の学習に取り組んでいました。Tくんは英語の苦手を克服するために、ずっと前の学年の内容にもどって学び直しをしていました。彼らだけではありません。やる気の高い生徒は、課題など無くとも自分に必要なことを考え、勉強するのです。

彼らの行動を過去表現にしたのは、課題によってそれが阻害されてしまったからです。「自分にはもっとやるべきだと思うことがあるのに、なんでこれをやらないとダメなんですか?」課題が渡された日、Rくんは憤っていました。「何でこのプリントで勉強せなあかんのやろ?なんで提出せなあかんのやろ?」Kちゃんは画一的かつ強制的な課題に疑問を感じていました。「課題は進んでいるけど、勉強は進んでいません。」Tくんは、課題に時間が奪われることをこのように表現しました。そして彼らは、自分がやるべきだと思う勉強ではなく、しなければならない課題に時間を割くようになりました。

彼らにとって、課題はためになることなのでしょうか?早々に課題を終えて自らの勉強に取り組み始めた別のTくんに訊ねました。課題で理解が深まったと思うか?との問いに彼はこう答えました。「いいえ。ぶっちゃけ提出用ですから。でも、課題が終わったので、やっとこれから自分の勉強ができます。」やる気の高い彼らにとって、課題は必ずしもためになるものではありません。むしろ、やるべきことに取り組む時間を奪う、阻害要因となってしまうことすらあるのです。先に記した「課題など無くとも」との表現は、正確ではありません。正しくは、「課題など無い方が」です。課題など無い方が、彼らはより一層やるべき勉強をするのです。つまり、課題はやる気の高い生徒のためにあるのではありません。

では、自律的な動機づけがまだ育っていない生徒、すまわちまだやる気の高くない生徒のために課題はあるのでしょうか?彼らは、もちろん課題がなければ勉強しないでしょう。ただ、課題が課されたからといって勉強するかどうかは疑問です。彼らがとるであろう行為は、分からなかったことを分かるようにするような、理解を深めるための行為ではありません。ただ提出物を完成させるための行為です。それは勉強とは言いません。単なる消化作業です。やる気の高い生徒ですらそのような行動をとるのですから、彼らがそうすることに無理もありません。ですので、彼らにとってもやはり課題はためになるものではありません。むしろ、さらにやる気を削ってしまう危険性を孕んだ、面倒な消化作業でしかないのです。つまり、課題はやる気の高くない生徒のためにあるのでもありません。

やる気の高い生徒のためでもなく、やる気の高くない生徒のためでもないのならば、課題は一体誰のためにあるのでしょうか?そんな疑問に対して、定期テストや宿題を廃止するといった教育改革を断行された工藤勇一元千代田区立麹町中学校校長は次のように主張されています。

”批判や誤解を恐れずに言えば、教員が宿題を出すのは子どもたちの『関心・意欲・態度』を測り、評価(通知表)の資料とするためではないですか。もっと私たちは専門性を発揮しないといけない”

なぜ宿題は「無駄」なのか?――“当たり前”を見直した公立中学校長の挑戦

課題は評価のためにある。それが工藤元校長のお考えです。教員は生徒を評価しなければなりません。ですから、評価するための材料が欲しいのです。課題はそのためにあるのだとおっしゃっています。本当に鋭いご指摘で、まさにその通りだと感じます。例えばMちゃんの音楽の課題は楽譜の書き写しで、「丁寧さを評価します」とあったそうです。楽譜を書き写すことに何の音楽的な意味があるのか分かりませんし、なぜ丁寧さが音楽の評価の対象になるのかも分かりません。(楽譜がとても汚いベートーヴェンは欠点ですね。)評価するためにあるのだと考えなければ、課題の説明がつかないのです。課題はやはり評価のためにあるのです。つまり、教員のためにあるのです。

教員は評価しなければならないから課題をやらせ、生徒は課題をしなければならないから形だけ終わらせる。工藤元校長によって麹町中学校で根絶された無意味な統制の連鎖が、未だ多くの学校に残っています。とても残念なことですが、これが現実です。そして、これが変わることは当分ないでしょう。なぜなら、次世代の教員は、この統制の中で育つからです。この統制の中で、課題をさせることは疑うことが難しいほど当たり前になってしまい、次の世代に引き継がれるのです。ですから、この統制の連鎖は世代を超えて根深く残り続けるでしょう。

ただし、希望はあります。やる気が育った生徒は、課題にどう対処すべきかも自分で考えるからです。無意味だと判断すれば最小の労力で受け流す方法を考えたり、何か意味を見出すべく自分なりにアレンジしたりします。そして、課題が片付けば、また自分のやるべきことに取り組みます。そのやる気はご家庭で育むことができます。育むために必要なことは行動を統制することではありません。必要なことは、お子様の自律性を支援することです。それはご家庭で、親御様が実践できることなのです。お子様のやる気を、育みましょう。そして、活き活きとした勉強を、取り戻しましょう。それが、私たちからの提案です。

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