葛藤を乗り越え、Mちゃんは

生徒の成長

今年も夏期講習が始まりました。自律性が大きく育った生徒たちは、夏期講習でも自らの意思で学習に臨み、懸命に取り組みます。中学3年生のMちゃんもそんな生徒の一人です。

入塾直後︎
  • なかなか手を動かさない
  • 解決してもらうのを待つ
  • 「この問題嫌い、面倒。」
︎入塾2年後
  • 分かるために試行錯誤する
  • 自分から質問する
  • 間違いにしっかり向き合う

「どんな勉強をしようと考えてるん?」夏期講習の初日、Mちゃんに尋ねました。すると、Mちゃんはびっしりと何かを書き込んだ紙を取り出しました。そこに書かれていたのは、課題でした。課題とはいっても、学校の課題ではありません。Mちゃんが自分なりに考えた、この夏に自分がクリアすべき課題でした。何を習得すべきなのか、優先度がどうなのか。そんなことが、そこにはびっしりと書き込まれていました。私たちはそれを作りなさいなどとは言っていません。彼女が彼女なりに考えて、作ろうと思って作ったのです。

「もうすっかり、けりがついたんだな。」そんなMちゃんの行動を目の当たりにして、そう思いました。

Mちゃんの心には長らく葛藤がありました。それは、学習に対しての葛藤です。「せなあかんけど、したくない。」そんな葛藤があったためか、なかなか学習に真剣になれないようでした。授業が始まっても学習を始めるまでにはかなりの時間が必要でしたし、問題集を開いたとしてもなかなか手は動きませんでした。分からないことがあっても進んで解決しようとはせず、解決してもらうのをただ待っているようでした。「この問題嫌い、面倒。」そんなネガティブな発言もよくありました。間違えた時には大きなため息をつくこともしばしばでした。

当時の彼女の言動から感じたのは、「分かりたい」というよりも、「やりたくないことから逃れたい・早く解放されたい」という想いでした。当時の彼女にとって、学習は分かる・分からない以前に、そもそもやろうと思わないことだったそうです。「もう勉強するの嫌や!」実際、そう訴えたこともありました。彼女の表情には、いつも学習に対する不満が表れていました。

Mちゃんの学習が改善するためには、心の葛藤の解消が欠かせないと思いました。私たちが取り組む自律性支援は、こんなケースにも大変有効です。ですから、私たちはご家庭と協力してMちゃんの自律性を支援することに注力しました。その結果、彼女の心は徐々に変わっていきました。心の葛藤もだんだんと薄れていったように思います。そして、心が変わるとともに、Mちゃんの行動も徐々に変わっていきました。

いつの間にか、席につくとパッと学習を始めるようになりました。また、分かるために試行錯誤するようにもなりましたし、分かりたいことを質問するようにもなりました。質問して教わったことを何度も見返せるよう、専用のノートも作りました。時折そのノートを見返して、自分はどんなことが分かっていないのかを振り返るようにもなりました。さらに、間違えても負の感情が生じなくなりました。そればかりか、きちんと間違いに向き合うようになりました。数学では何が原因なのか・どう考えるべきだったのかをしっかりと考え、英語ではこの場合はどんな文法ルールだったかな?と懸命に思い出そうとするようになりました。最も苦手の社会にもしっかりと取り組むようになりました。教科書を丁寧に読んで、理解に努めるようになりました。小さな一つ一つのことを、本当に丁寧にきっちりとやるようになりました。そして何より、学習に取り組む表情がとても穏やかになりました。

先日始まったばかりの夏期講習でも、既に以前とは明らかに質の異なる行動が多々見られます。部活のために遅刻することがあっても、部活が終わると休憩もせずにすぐに塾に来て、すぐに学習に取り掛かります。部活に加えてオープンスクールもあったある日、かなりの遅刻になってしまうにもかかわらず、それでも欠席しようとはしませんでした。さらに、お昼からの講習を夕方に終えてからも、自習室で夜までもうひと頑張りしています。その際、夕食を取らずに夜まで頑張ることにしたのは、ご飯を食べると眠たくなってしまうからだそうです。

以上のとおり、今の彼女は以前の彼女とは全く違います。それは、「せなあかんけど、したくない。」という心の葛藤にしっかりとけりをつけたからなのだと思います。ただし、それは「したくない」を捨てて、「しなければならない」に従うことにした、ということではありません。そうではなく、自ら受け入れたということなのだと思います。「学ぶことは大切なことなんだ。」そんな内なる想いから、学習を受け入れたのです。だからこそ、「しなければならない」に心を乱されることなく、学習に向き合えるようになったのだと思います。それは、自分を偽って圧力に服従するのをやめ、自分が自分でありつづけることを選んだ、ということなのだと思います。

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