無気力だった生徒と

どんな塾?

以前、こんな生徒がいました。塾のない日も勉強時間を確保し、勉強内容を自分で組み立て、じっくりと考えながら取り組み、解らないところは積極的に質問するという、学習姿勢に申し分のない生徒です。しかし、彼は最初からそうできていたわけではありません。ある時を境に自発的に勉強することができるようになったのです。

そうなるまでの彼は勉強においてとても苦しんでいました。中3になって学校でも塾でも授業についていけなくなりました。勉強することから強いストレスを受けていて、嫌々塾に来ていることが彼の表情からは伺えました。そして、だんだんと無気力になっていくのが分かりました。

何とかしないといけないと思っていた私はある日、彼に相談を持ちかけました。しかし、正直何をどう話せばいいか全く分かりませんでした。ただ、私の思いは一つでした。そのとき彼の内側にあるものが何かを知りたかったのです。それを吐き出させることができれば何か打開策が見えてくるかも知れない。そんな思いでした。私は彼に、今思っていることを何でもいいから言ってほしい。勉強するのが嫌だということでも、親への不満でも、塾に対する不満でも、何でもいいから話してくれないかと言いました。

最初は渋っていましたが、一度話し出すと彼は怒涛のように、いろんな不平不満を洗いざらいぶちまけてきました。親に対して、学校に対して、以前通った塾に対してなど、これまでした嫌な思いを何の脈絡もなく思いつくままに吐き出したのです。

そしてこの塾に対する発言もありました。彼は授業でそのとき行っていた勉強のやり方を否定してきました。自分がいいと思う勉強法を述べ、なぜその方がいいのかを示してきました。そして、再度塾のやり方を否定しました。語気を強めたその言い方はとても挑戦的で、表情はどうだ何か文句でもあるかと言いたげでした。

私は驚きました。彼が塾を非難したことにではありません。塾で無気力に見えた彼が自分で自分なりの勉強法を考えていたことにです。そしてこう言いました。「そのやり方すごくいいじゃないか。なぜそれを塾でやらないんだ。」と。

彼は、え?という表情を浮かべ、呆気に取られた様子でした。おそらく私の反論を待っていたのでしょう。それどころか自分の主張がすんなり受け入れられて、途端に口調も穏やかになりこう言いました。「だってやっていいとは思わなかった。塾で言われるようにやらないといけないと思っていた。」

私は言いました。「そんなことはない。こうでないとダメだと言ったことは一度もない。常に言っていることは、考えなさい、ということだ。考えてそのやり方を見つけたんだろ?考えて自分のやり方を見つけてそれがいいと思ったならばそれをやるべきだ。考えてやるとはそういうことだ。」と。

それから彼は劇的に変わりました。少し前まで無気力だったのが嘘のように冒頭で述べたような勉強を始めたのです。それは自分で考えてやる勉強でした。言われたことをやる、与えられたことをやる勉強ではありませんでした。

この出来事から何が言えるのかはよく分かりませんが、未だにいろいろな事を考えさせられています。生徒と周りの人間との関わり方はどうあるべきか、生徒の無気力はどこから来るのか、その解決法はなど。答えにはまだたどり着いていません。しかし、何かにつまずいてうまく行かない生徒がいたらどうにかして前に進めるようにしてあげたいと思っています。

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