大嫌いが、楽しいに

生徒の成長

高校受験で志望校合格を勝ち取ったその日、Kくんが塾で懸命に取り組んだのは数学でした。Kくんがこのような行動をとることは、彼の入塾時には全く予想できませんでした。なぜなら、入塾時の彼が最も苦手で嫌いな科目が数学だったからです。

入塾直後︎
  • ただただ講師に従うだけ
  • 解説があるまでじっと待つ
  • 教わったら書き写すだけ
︎入塾1年後
  • やるべきことを考える
  • 解説を拒んで考える
  • 教わってからも考える

Kくんは中1の終わりに、大手の進学塾から変わってきました。お母様によると「2年通っても成績は1ミリも上がらなかった」そうです。そこで、彼の動機づけを測定したところ、統制的動機づけがとても高く現れました。それは、数学において特に顕著でした。

統制的動機づけが高いとき、学習行動は表面的になります。入塾当初の彼の数学の学習は、こんな様子でした。特に自分の考えはなく、ただ講師が言うことに従いました。教わった通りにやって、間違えたものは教わった通りに書き直しました。分からないときは、教えてもらえるのをただじっと待ちました。

数学に取り組むこと自体を拒むことはありませんでしたが、それは義務的に服従しているだけでした。「分かるようになりたい。」「できるようになりたい。」そんな想いもなく、ただしなければならないことをする。それが、彼の数学の学習でした。

このようなとき、いくら分かりやすく教えても、いくらたくさん練習させても、ほとんど身につきません。塾に通っても成績が上がらなかったのは、そのためです。成績が上がる、身につく学習をするようになるためには、彼の学習が変わる必要があります。そして、そのためには、彼の心が変わる必要があります。私たちは、そのための支援に取り組みました。

彼が数学を受け入れていないことは、彼の行動から明らかでした。しかし、なかなかその本心を明かそうとはしませんでした。本当のことを言ったら、怒られるのではないか。きっと、そんな恐怖があったのだと思います。しかし、自律性を支援される環境の中で、彼は徐々にいろいろなことを話すようになっていきました。

そして、入塾から数ヶ月たったある日、やっと口にすることができました。

「数学は、したくないです。」

その声はか細く、少し震えていました。勇気を振り絞って口にしたことが、よく分かりました。「よう言うたなぁ。」彼が勇気を振り絞ったこと、これまで辛いことに耐え続けてきたことを讃えました。そして、提案しました。これからは我慢し続けるのではなく、本当に納得できる数学との付き合い方を、一緒に考えていかないか、と。

その時を境に、彼の数学との付き合い方は変わっていきました。「しなければならないもの」だった数学が、「した方が良いと思うもの」に変わりました。そして、「しようと思うもの」を経て、中3の夏には「楽しいと思うもの」にまで変わりました。

中3の夏休み、彼が最も学習に時間を割いたのは数学でした。夏期講習での数学の学習はこんな様子でした。講師の提案にただそのまま従うのではなく、彼の意思をもってやるべきことを選択しました。分かる・分からないに関わらず1問1問を懸命に考えましたし、間違えても丁寧に考え直しました。さらに、教わったあとも納得できるまでしっかり考え続けました。そして、復習にも進んで取り組みました。彼の学習は、入塾直後のものとはまるで違う、深いものに変わっていました。

そんな学習によって、彼が自力でできることは飛躍的に増えました。そして、中3の2学期の実力テストでは、自己ベストを大きく更新しました。この頃には、成績においてこれまで足を引っ張っていた数学が、逆に彼の成績を支えるものになっていました。

このような彼の変化は、動機づけの変化と完全に重なります。入塾当初に支配的であった統制的動機づけは、本心を口にした面談の後に低まっていき、それに変わって自律的動機づけが高まっていきました。中3の秋には入塾時と比べ、完全に逆転したと言えるほど変わりました。さらに高校受験直前の2月の測定では、揺るぎないものになっていました。

入試を終えても彼が数学に懸命に取り組み続けるのは、自律的動機づけがしっかりと育った何よりの証拠です。心が変われば、行動はこれほどに変わりますし、大嫌いだったものでさえ、楽しいと感じられるまでに変わるのです。

タイトルとURLをコピーしました