助長

どんな塾?

昔はなるほどなと思うだけだったことが、時を経て深い納得に変わることがあります。先日、中国の故事を読んだときに、そんな体験がありました。その故事は「助長」の由来となったものです。

『宋の国の人で自分の植えた苗の生長が遅いのを心配して、畑へ行って、苗を引っ張った者がいた。一日苗を引っ張って、すっかりくたびれて家に帰った。家の者に「今日はくたびれた。苗を引っ張って、早く生長するように助けてやった。」その息子が驚いて畑に走って行って見ると、苗は引き抜かれてすっかり枯れてしまっていた。』(中国故事成語辞典、三省堂)

このことから、「功を焦って誤った方法をとると必ず失敗すること」を助長と言うようになったそうです。

久々にこの話を読んで深く納得すると同時に、教育のことを重ねずにはいられませんでした。成績が悪いからと、無理やりにでも引っ張りあげようとする。教育においてはそんな「助長」が蔓延しています。確かにそれで少しだけ伸びることはあるかもしれません。しかし、それはあくまでも一時的であって、長い目で見れば勉強に対する気持ちは枯れてしまいます。

とはいえ、引っ張りたくなってしまうのは仕方ないとも思います。人と比べて低迷するテスト結果や成績表を突きつけられたらどんな親でも不安に駆られます。ただ、成長は規格化されたものではないということをきちんと理解しておかなければならないと思います。人は機械製品ではないのです。成長が早い子どももいれば遅い子どももいます。ですから、人と比べてどうこう言っても仕方ないと思うのです。

苗は、引っ張らずとも、条件さえ整えば自然と育ちます。これは、子どもたちにも全く同じことが言えると思います。内発的動機付け研究の第一人者であるエドワード・L・デシ博士は、著書のなかでこう述べています。『彼らは生命体なのである。彼らは生命体として探索し、発達し、困難へと立ち向かう。それは彼らがプログラムされているからでも、無理やりやらされているからでもない。そうするのが彼らの本性だからなのである。』

デシ博士の言葉は、多くの子どもたちを見てきた実感と一致しています。誤った接し方をしなければ、どんな子どもも成長しようとします。たとえ目に見える行動がない子でも、心の中では行動に向けた準備をしています。それは、地上での成長が見えなくても地面の下で根が育つのと同じだと思います。そして、しっかりと根を張った子どもは、人が変わったかのように力強く行動し、たくさんのことを吸収しようとします。

勉強嫌い・無気力を「助長」しないよう、自然な成長を援助したい。中国の故事と重ね、教育についてこのように考えました。

(※今では本来の意味とは違い、単に「成長を助けること」という意味で使われることもあるようです。誤用が定着してそうなったのかもしれません。)

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