「終わらせること」「分かること」

いつもきちんと課題を終えるのに、なかなか成績の伸びにつながらない生徒がいます。その一方、課題をやりきることは希なのに、成績をぐんぐん伸ばす生徒もいます。一見逆転現象にも思えるこのようなことが、ちょくちょくあるように感じます。これはなぜなのでしょうか。

私の考えはこうです。前者は、終わらせることを優先し、後者は、分かることを優先している。その結果、前者はほとんど学ばないのに対して、後者はやった範囲からはきちっと学び、上のような見かけの逆転現象が生じる。

終わらそうとしてやるのと、分かろうとしてやるのでは、頭への入りが全然違うと感じています。それは、自分自身の両方の経験に基づいています。それは次のようなものでした。

高校(高専)でのある専門科目で、期限までに間に合いそうにない課題に対して、とにかく終わらせようとして取り組みました。考えている時間がないので、ちょっと分からなければ調べたり、友達に聞いたりして、どんどん進めていきました。課題は無事提出することができましたが、結局理解を深めることはできないままで、その後、その科目ではとても苦労しました。

別の専門科目で、また同じような状況におかれました。もう終わらなくてもいいから、その代わり、やったところまではきちんと分かったと言えるようにしようと思いました。そうして、終えることを気にせず、じっくりと取り組みました。すると、どんどん理解は深まっていきました。この時は、理解が深まったことで加速し、課題を終えることもできました。

この経験以降、終わらせることと、分かることが両立できそうにないと感じたとき、意識的に後者を優先するようになりました。

大学のときには極端な経験もしました。ある専門科目で、試験の前日なのにほとんど何もわからないといったことがありました。終わらせることを優先して、ひとまず全範囲を勉強するか。それとも分かることを優先して、せめて一部だけでもきちんと分かるように勉強するか。私は、それまでの経験から、迷いなく後者の姿勢で取り組みました。

ところが、この時はそれが裏目に出たかのように感じました。分かることを優先していると、分からない時に全然進まないのです。結局試験前日にはほとんど何も分からないままでした。しかし、翌朝になって、やはりそれで良かったと思えました。目覚めたときに閃いたのです。「そうか!そういうことか!」引っかかっていたことがやっと分かったのです。そこから試験までの短い時間で理解は一気に深まりました。結果は驚くほど良く、「君がダントツだった。授業以外で専門的に学んだことがあるのか?」と教授にも聞かれるほどでした。

「終わらせること」と「分かること」。

2つの道があって、その先に何があるのか。それに気づかせてあげることができれば、生徒は自ら望む道を選ぶようになるのではないか。そんなことを考えました。

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