生徒の塾からオカンの塾へ

塾は誰にどんなサービスを提供しているのだろう?そんなことを考えました。私は講師になる前、研究職や開発職をしていました。その時、様々な仕事を外部委託していました。実験装置を作るのを外部委託して自分たちは研究に専念したり、ソフトウェアの動作検証を外部委託して自分たちは開発に専念したりしていました。外部委託の目的はこうです。「自分たちにとって価値の高いことに専念し、そうでないことは専門家にお任せして、業務効率を上げる。」サービスをこのような外部委託の観点で捉えた場合、当塾のサービスの提供先が変化していることに気づきました。

以前、この塾のサービスは生徒に向けたものでした。生徒から、「どう学ぶのか考えること」を受託していました。例えば、先回りの説明によって「読んで学ぶこと」を、また、頻繁な小テストの実施によって「理解を疑うこと」を肩代わりしました。他にも、つまずきポイントの提示によって「疑問を明確にすること」を、次の課題設定によって「何をやるべきか考えること」を、テスト対策プリントの提供によって「どんな勉強が必要か考えること」を肩代わりしていました。このように、生徒から「どう学ぶのか考えること」の一切を肩代わりし、生徒を成績向上だけに専念させることがこの塾のサービスでした。

ただ、常にモヤモヤとした違和感がありました。もちろん成績向上は価値あることだと思います。しかし、効率を求めて生徒がそれだけに専念し、「どう学ぶのか考えること」を置き去りにしてしまうことに疑問を感じたのです。むしろ、どうすれば自分は学べるのか、それを考え体得することこそが大切なことでは無いのだろうかと思ったのです。私が育てたい生徒は、自立して学べる生徒、「自分で考え、自分から行動する生徒」なのです。塾を利用はしても依存しない生徒なのです。つまり、自分で読んで理解を試み、自分の理解を疑い、自分から疑問を明確にして解消し、自分でやるべきことを決定し、自分に必要なテスト対策を自分で考える、そんな生徒なのです。

それでも、指導を変えることには大きなためらいがありました。恐らく、その時はまだそれほど生徒を信頼していなかったのだと思います。本当に生徒が自分から動くようになるのだろうか?生徒は無力な存在で、手を差し伸べなければ自力では何もできないのではないだろうか?強制しなければ勉強に向き合うことすらできないのではないだろうか?そう思っているところがあったように思います。その一方で、学ぶ術を持たず塾に依存するだけの生徒を見るたびに違和感は膨らみ続けました。やはりこのままではいけない。そして、生徒が変わるにはまず指導のあり方を変えるべきだ。そう思い、少しずつ改革に取り組みました。

様々な改革が進む中で、サービスの提供先が変化していることに気づきました。それまでのサービスは生徒に向けたものでしたが、だんだんと保護者に向けたものに変わっていきました。保護者から、「お子様の学習しつけ」を受託する。それが、当塾のサービスになっていきました。試行錯誤すること、間違いに向き合うこと、読み取ること、考えること、調べること、質問すること、覚えること、計画すること、そんなさまざまな学習習慣のしつけを保護者から受託し、自立して学ぶ力を養うこと、そして、自力での成績向上に導くこと。それがこの塾のサービスになっていきました。

改革によって心の中のモヤモヤが解消し、迷い無く指導できるようになりました。迷いが無くなったからか、生徒への信頼を持てるようになりました。生徒も変わり始めました。最初はできなかった様々なことが自分で出来るようになっていきます。分からないことがあればサッと自分で調べる生徒、本をじっくり読んで理解を深める生徒、遅れを取り戻そうと多くの課題を自分に課す生徒、講師の解説を拒み分からなかった問題を自分で考え抜く生徒、不安を解消すべく自分から復習を取り入れる生徒、生徒一人一人がどんどん自主的になっていくのを感じます。そして、彼らがどんどん頼もしい存在になっていくのも感じます。

生徒の塾から、保護者の塾へ。その変化に気づいたとき、ずっと心に引っかかっていたあるお母様の言葉と繋がりました。「オカンの塾が欲しいです。」強制しても勉強に向き合おうとしないお子様に、どう接するべきなのか迷いを感じておられました。このお母様は学習内容の指導よりも、もっと根本的なものを求めておられると感じました。勉強を強制することしかできなかった当時、そのお母様のご要望にお応えすることができず歯がゆい思いをしました。今、あのお母様が求められていたものがやっと見えてきたように思います。

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生徒の塾からオカンの塾へ” に対して1件のコメントがあります。

  1. アバター 1番目の生徒 より:

    すごく頑張っていますね。
    私も学生の時勉強を楽しいって思った事ありませんでした。
    勉強のやり方もよく分からなくて、親の気持ちにも答えられなくて悩んだ時もすごくありました。

    でも中学校の時、家庭教師の先生が来てくれて勉強はできなくても、勉強がすごく楽しいなって、初めて思いました。
    勉強だけじゃなくて大切な事たくさん教えてもらえました。その先生にすごく感謝しています。

    最近仕事をしていて、自分に任された事だけが自分の仕事だと思ったり、自分で考えたり自分から行動できない人が多くて戸惑います。

    1つの仕事を教えるのも、こちらから言うだけでなく本当に理解できているか質問しています。後輩が増えてきて教える側になり毎日悩みながらお互いに成長しています。

    いままでしてきた事に無駄なことひとつもないと思いますが、私も、もう少しはやく先生に出会っていたらもっとしたい事やできる事が増えていたのかなと最近すごく思います。

    勉強があまり得意ではなくても、勉強する中で、集中する事や楽しさ、「心・体・学」を教えてもらえる場所や先生がいる事は生徒さんにとって幸せな事だと思います。もちろん親御さんにとってもです。
    担任の先生によってやっぱり母の精神面も全然違いましたから。
    これから大きくなって仕事をする上でも、自主的になる事は本当に大切だと思います。

    その時に気づけなくても、いつか気づける時がくるので生徒さんたちも、もちろんですが1番は自分を、信じてくださいね。

    先生なら大丈夫です^ – ^

    私も今でも頑張ってる先生のおかげで、頑張れてますよ。本当にありがとうございます。

    1. 中山悟志 中山悟志 より:

      1番目の生徒さんへ

      メッセージありがとう。
      ここを見つけてくれたこと、そして、メッセージまで送ってくれたことにとても驚きました。今は責任ある立場になってお仕事頑張っているようでとても嬉しく思います。ご家族の皆様もお元気でしょうか?

      色々教えてもらったのは私も同じです。あの時の家庭教師の経験は私にとっても本当に貴重なものでした。いろんなことを今でもハッキリと覚えています。そして、最後の日にお母様に頂いた言葉にはいつも勇気付けられています。

      「もっと早くに」と思うことは、私もよくあります。でも、あの時だったからこそ響くものがあったのかもしれないとも考えられます。というようなことを、本で読みました(笑)私もいつまでたっても悩みだらけです。これだけの悩みを解決できたらすごいことになるんじゃないか?なんて考えながら一つずつ解決しています。

      一緒に前に進んでいきましょう!

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